はじめに
『誰よりも活躍して、キラキラしたいな』
誰しも一度くらいはこんな思いが過ぎるんじゃないかな?
人生において、多くの人が主役になりたがるという欲求を抱えているよね。SNSなんて「承認欲求モンスターの巣窟」にすら見える時がある。でも、他者が認めてくれるほどの「主役的な生き方」って誰しもできるわけじゃない。
なのに『あなたも私のようにキラキラして生きることができるよ!』って、そんなメッセージを発信しているキラキラ起業コンテンツも多いよね。
そんな人たちに憧れて「この人からノウハウを学べば、素敵なホテルのラウンジで過ごしたり、素敵なワンピースやスーツに身を纏ったらみんなが振り返ってくれるかもしれない!」と甘い言葉にグラグラくることもあるよね。だけど、お金を払って近づいてみて、気づいてしまった「やっぱり私はこの人のようにキラキラできない。私には価値がない」という自分の気持ち。
『やっぱり私は主役になれないんだ・・・』
こんな現実に悩んだら、この記事を読んでほしい。この記事では、「人生を脇役として生きることの価値」について考えてみるからだ。はっきりいって、主役になることにこだわる必要はない。
主役としてのプレッシャー
多くの人は、社会や周囲の期待に応えようとするよね。気がついたら「主役」として輝くことを目指している。「自分が本当はどうしたかったのか?」ってことすら見失ってまでね。
自己啓発本や自己啓発セミナーでは「自分の人生は自分のものであり、他人と比較する必要はありません」なんてありきたりのことを言ってるよね。そんな言葉を聞いても「は?そんなの分かってるわ!だけど、主役になろうとする自分がここにいるから困っているんだろ!」というのが本音だよね。
では、君はいつから「主役」になろうと頑張り始めたのか覚えてる?いや、そんなこと覚えてないだろうね。
君が「主役として生きなければいけないと」いう思い込みを抱き始めたのは、明確な記憶などない幼少期だったはずだからだ。
親からの注目を浴びて、何か1つ覚えるたびに大歓喜して笑顔になる親を見て育ってきたんだよ。
君がオムツをつけて座布団の上に転がって、ゴロンと寝返りを打つたびに笑顔になる親を何度も見てきたんだよ。君が覚えていなくても「自分が何かをすると喜ぶ親がいる」という体験が脳に刻まれているよ、何度も何度もね。
大きくなるにつれて親からの「主役プレッシャー」は強くなっていく。学校に入れば我が子の成績や運動能力が優れていると喜ぶようになる。逆に成績が下がったり、クラスメイトたちよりも能力が劣っているとため息をつかれてしまう。もしかしたら、君は成績表を出すのが億劫になって隠していた子かもしれないけどね。
兄弟姉妹がいる人の主役プレッシャー
もし、君が一人っ子なら親の注目は独り占めだ。だけど、兄弟姉妹がいる場合はそうはいかない。「主役の座争い(生存戦略)」が勃発する。親の注目を浴びなければ生き抜けないことを生物として本能的に知っているからね。兄弟姉妹を通して生まれて初めての「他者比較」が始まるということなんだよ。
主役として生きなければ、愛されないかもしれない。
そんな大きなプレッシャーや責任を感じるようになり、自分の人生が辛くなってくるんだよね。親も兄弟姉妹と比較するつもりはなくても、個性が違う子どもたちを見て「どうしてあなたはお兄ちゃんのようにできないの・・・」なんて悲しい言葉をかけてくることがある。子どもの立場からすると、この言葉は自分を丸ごと否定されたようでとても辛いんだよね。
この記事を読んでいる人の中には「最初はお兄ちゃん(お姉ちゃん)が大好きで、追いつこうと努力をしていた。だけど、いつの間にか優劣の対象でしかなくなった」と感じている人もいるかもしれない。反対に「長子としてめちゃくちゃ頑張ることが当たり前になってしまった自分に対して、どうして弟(妹)はちょっと頑張っただけで褒められたりするんだ!」と長子コンプレックスに悩んできた人もいるかもしれない。
どちら側であっても、親から感じ取ってしまう「主役プレッシャー」というものは厄介だったりする。
一人っ子の主役プレッシャー
「一人っ子に葛藤がないようなことを言わないでよ」
そんな声も聞こえてきそうだが、一人っ子には一人っ子なりの主役プレッシャーがあるだろう。親の視線を一心に浴びて成長する中で、学校教育の段階まで「比較される」という経験をしない。兄弟の中での生存戦争に巻き込まれる育った子どもにとって、初めての他者比較は学校というステージでスタートする。
もし、他者と比較されず、自分をありのままに認めて育ててもらえた人はかなりラッキーかもしれない。中には「親の期待を一心に背負うことになり、逃げ出したかった」という人もいるからだ。
兄弟姉妹がいる場合、注目が分散するということが起こるが、一人っ子の場合は親からの注目が良くも悪くも分散することがない。
もし、自分の両親が自分にかせる期待が「異常」であっても、知る術がないかもしれない。知る術がない中で「期待に応えなければ」と一人でもがき苦しむ人もいるだろう。プレッシャーに押しつぶされ、こじれた大人になったのに、プレッシャーで自分を潰した両親を自分一人で支えていかなければいけないという理不尽さを感じている一人っ子がいることも確かなのである。
自分の人生、自分の主役
君が主役になろうと頑張ってきたのは、現在のキラキラブームに始まったことではない。幼少期から実はスタートしていたとわかれば「SNSで見かけるキラキラ系人間と自分を比較してガッカリしているわけではなかったかもしれない」と少しは気がラクになったのではないだろうか?
君が勘違いをしているかもしれないので伝えておくけれど、SNSのキラキラ承認欲求モンスター(別名:インフルエンサーともいう)は・・・
君にとってちっとも主役なんかではない。
君の人生に影響しているように感じるかもしれないが、
君の人生に対して影響力なんか「ゼロ」だ。
すでに君はそれを理解しているはずなんだよ。その証拠に彼らの投稿を見るたびに「モヤモヤ」しているはずだ。そのモヤモヤの正体はなんだと思う?
『まるで私のように生きてみたいと思わない?』という提案に対して、心のどこかでクソヤローと思っているんだよね?
同じ境遇に生まれたわけでもなく、全く人生の背景が違うのに「今」の一側面を見せて、勝ち組のように振る舞う彼らに対して一種の嫌悪感を感じちゃってるんだよね?
彼らに100万円を払ったところで、君は彼らのようになれないことを「知っている」んだよ。もし、すでに100万円も払ってしまったのなら「お前が着ているFENDIの新作は、私が払ったお金で買えてるんだよね!?」と分かっているんだよ。残念だけど、それが事実だしね。その100万円であなたが買えた新作だったかもしれないのにね?
主役になろうとして、主役になる生き方を学ぼうとお金を払ったことで、本当の主役の君は何を得た?買えたはずの新作ブランドを他人にプレゼントしたようなもんだよ?
「私って、みんなから注目を浴びて、みんなからお金をもらって、好きなブランドを身に纏って、主役級!」
って永遠に誰かに時間とお金を払い続けるのかね?
いいかい?君の人生の主役は君。
同じように、他人の人生の主役は、他人。
キラキラインフルエンサーがあなたの人生の主役になんてなれないように、君が本当の意味で誰かの人生の主役になんてなれっこない。なる必要もない。
君には
「自分にとって、一番影響力のある自分」
になってほしい。
他人の人生における自分の役割
他人に対して特別な影響力を持つ必要はない。
他人が認める「主役」になる必要もない。
では、他人の人生において、自分はどんな役割を果たせば良いんだろう?
先述したとおり、他人もまた、自分の人生の主役。君が誰かの目の前に現れて、影響をしようとすればするほど逆に嫌われてしまうかもしれない。それは他人が望むことではないからね。
他人の人生に現れる自分は「脇役」でいればいい。他人だって「私は自分の人生の主役だ」と感じたいのだから。
先程のSNSで見かけるキラキラインフルエンサーだって、ファンを大事にするのは自分を主役にしてくれる可愛い脇役ちゃんだからだ。(言い方がえげつないが、お金を払わない人に対して、お金を払ってくれる人と同等に大切にするだろうか?)
きみには普段の生活を支えてくれる家族、友達、同僚がいるはずだ。私たちは互いに支え合い、助け合っているんだよね。不特定多数の大勢を大切にするなんて聖人君子でもない限り無理なんだから、せめて・・・そんな大切な人たちのための「脇役」として存在しても良いと思わない?
結果から言うとさ、この世界で主役にならなくたって
「脇役」をしっかり務め上げるだけで他人から愛される
んだよね。
これで、主役にならないと愛されないかもしれない!と悩む必要すらなくなるんだよ。
脇役としての意義
脇役として生きることには、大きな意義がある。
脇役は人生っていう物語に深みを加え、主役を引き立てる存在だからね。
他人からすると、脇役になってくれる人は非常にありがたい存在なんだよ。逆に自分の目の前に主役級に登場する人間なんて正直目障りなはずだ。
君だって、「誰かが自分の人生の主役の座を奪いに来た!」「私の人生なのに、あれこれ支配しようとするヤツが現れた!」と思ったら内心穏やかではないだろう?
他人にとって「自分の存在を脅かさない存在」の「脇役」であることは、君の人生も穏やかに、少なからず今よりも安らぎを感じる生き方につながるはずだ。
脇役の役割を全うすることで、たったそれだけで他人に喜びや支えを提供することができるのだから。
ただし、
「誰の脇役になるか?」は、今後間違えないようにね。
君が誰かにお布施しようと思ってる100万円は、使い方次第で家族も友達も幸せにできるんだからさ。
まとめ
人生を脇役として生きることは、主役になることよりも重要な意味を持っているんだよね。
自分が自分の人生の主役であることを認識して、他人の人生においては「脇役」としての役割を大切にしてほしい。他人を「主役を奪い合うライバル」にするから、辛くなる。そんなふうにSNSなんて眺めてるからそんな気持ちになる。
もう、やめていいよ?
脇役としての存在するって、君にとっても気がラクなことなんだよ。
誰かが君の思い通りにならなくても腹を立てる必要もない。他人の人生の主役は他人なんだから、他人が自分で自分の人生を決めていくんだよ。それを脇役として、そっと見守っていればいい。相手が家族・パートナー・子ども・親友であってもだ。
そして、君に許されているのは「自分の人生だけは主役でいても良い」ということ。
だから、
簡単に自分の人生の主導権を他人に握らせてはいけない。
今までは「誰かのために主役になる」ことで生きてきたかもしれない。これからは「自分のために生きてる時の主役でいること」。ある意味、これは「誰かに言われたから」という言い訳はできなくなるんだけどね。
誰よりも活躍してキラキラしたい、なんて思わなくていい。
誰もが認める主役級の生き方がしたい!なんて君がやることじゃない。
なぜなら、君が「自分の人生において主役」だということは死ぬまで揺るがない事実なんだからね。